Saturday 27 June 2009

経哲草稿、プロテスタンティズムの倫理

学部生時代に読んだ本をひっぱりだして見ました。

ヴェーバーは、何故か下巻だけ。当時もそう思ったんだろうけど、キリスト教の禁欲を資本の蓄積に結びつける必然性はあまりない。今の時代から見ると、資本の蓄積=お金の集中ってのは、統計的揺らぎ、木の葉の吹き溜り的なところがあって、個人個人がちまちま蓄えるのとは違う気がする。

一つは搾取の対象が、労働力から地球の資源に変わっているからだと思う。ただで石油を消費しまくっている状態で個人の禁欲って、その利益を失うことでしかない。どうせなくなるのであれば、それが早いか遅いかは、あまり重要な気がしない。なにか到達目標があれば別なんだろうけど。

マルクスの経済学・哲学草稿は、ヴェーバーの引用の塊の中に感想が書いてあるという(ひどい...)感じよりは、論理的に書いてある。もちろん、引用をさぼっているわけではないんだけど。

著作物とかコンテンツとかの問題の方に対して、「経済学・哲学草稿」は有効なのかも知れない。

「人間を人間として、また世界にたいする人間の関係を人間的な関係として前提してみたまえ。そうすると、君は愛をただ愛とだけ、信頼をただ信頼外だけ、その他同様に交換できるのだ。君が芸術を楽しみたいと欲するなら、君は芸術的教養をつんだ人間でなければならない。君が他の人間に感化をおよぼしたいと欲するなら、君は実際に他の人間を励まし前進させるような態度で彼らに働きかける人間でなければならない。」186 page

良くこんな恥ずかしいことが書いてあるよな〜 経哲草稿は愛を語った本だね...

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