Monday 20 April 2009

母の様子(まとめ)

2/1にクモ膜下出血で倒れました。そのあたりで、fj の接続も切れたらしい。rio も、そのあたりで交通事故にあったらしい。そういう時ってあるっていうか、まったく関係ないというか...

クモ膜下出血は比較的出血を止める手術が行ないやすいらしいです。クリップとか白金線を詰めるとかそういう感じの手術です。ただし、死亡率が高い。47%とか。寝てる時に出血したりすると、もうだめだったりするらしい。母は昼間だったので運が良かった。3回出血するとダメですみたいな説明を受けました。一方で、完全に元に戻ることもある病気らしい。

2回出血してかなり出血したらしい。脳は血液に晒されるだけでダメージを受けてしまうらしい。ICUでは血液を外に出すドレーンがあったりしました。その後の血管の手術があったりで、ICUにいた期間が18日間とかなり長かった。

動脈硬化による脳梗塞もあったらしいです。そう言えば、妙に頑固になってたのは、それか。それは、血栓を融かす薬を使うわけなんですが、それは、止血とは逆方向。なので、長引いたところがあるらしいです。

ICUにいる間は、ほとんど寝たきりでした。うなずいたり、目を開けようとするぐらい。右半身が麻痺しているんですが、左半身はなぜが動かしていることが多かった。なので、意図的に右から話かけるようにしてました。

ICUから出た後は、リハビリの人と一緒に、いろいろ。動かない方の手足も動かしてあげないとだめらしい。声かけたり。

ICUから出た二日目に、話かけたら少し笑ったのがうれしかったです。その後は、劇的に回復する感じでした。回復する時はそんな感じらしいです。右の麻痺もほとんど消えてますが、筋力の衰えはしかたがない。

車椅子に乗せて「鏡を見て」と言って、リハビリ士の人が「あ、目があった」と指摘した時に、なるほど、そういうところを観察するのかと思いました。脳の配線を一つ一つ繋げていく感じ。日常生活の動作を一つ一つ復習していく感じですね。ベッドに横になる、起き上がるところが始めて...

卒研とか片付けて病院に戻ると歩行練習をしていたのには驚きました。

3月には回復期リハビリ病院というところに移り、そこでは筋トレに近いこともやるようになりました。

男性は病気になると人まかせになる人が多いらしい。女性は家事とか自分でこなすようになりたいという気持が強いので、リハビリに積極的になれるようです。そういえば、父はリハビリは嫌がっていたっけ。

でも、他の人を見ていると麻痺が残ってしまう人が多い。そうすると装具を付けなければいけないので、二倍の筋トレが必要。年齢的にも上だったりするので、他の病気が見つかってしまったりもするようです。まぁ、人間は年取って死ぬものなんだけど。周りはつらいよね。でも、運不運としか言いようがないです。母は麻痺が残らなかったので、運が良かった。

リハビリ後は身体感覚がずれることが多いらしく、怪我しやすくなるようです。ちょっと寝たきりになると、その後のリハビリが大変。年取ると言うのは、そういうことなんだけど。なので、回復期リハビリ病院の人達が気を付けるのは、そのあたりらしい。本人は出来る気がするんだけど、怪我しちゃうと、回復期を逃してしまうということでもあるので。

意外だったのが、食事チューブが取れるのに時間がかかったこと。人によっては麻痺が残っても食事は普通に取れるらしい。もちろん病院側が慎重だというのはあるようですけど。ICU18日間の間、食べてないんだものな... 食事チューブの状態だと食事のたびに一時間程度付きっきりなので自宅介護は難しいそうです。

高次機能とかいうのもダメージがあるらしく、記憶の訓練とかもやってました。自分がいる病院とか今日の日付とか。計算能力とか。話は通じるんだけど、昨日、誰が来たとかを覚えてない感じ。それもどこまで回復するかはわからないのですが、徐々に回復している感じです。

本人は5月に退院するつもりらしいです。今まで通りとはいかないでしょうけど。本人の回復力によるものが大きいけど、運もあるなぁ。お見舞の人が多いのはうらやましい。

母は大変だったと思いますが、自分がどういう状況か判断できるようになったのは最近らしい。クモ膜下出血は記憶に障害が出るので「覚えてない」という感じになるらしい。と言うことは、がんがん厳しいリハビリしても大丈夫ということなのか? いや、最近は覚えているっぽいからなぁ。

まぁ、お見舞にいく方もいろいろ体験出来て面白かったです。ICUにいる間は、目を覚ますかどうかもわからなかったので。

4/25から、また病院にいく予定です。どんな感じになっているか楽しみです。

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