Wednesday 1 October 2008

神の見えざる手

「神の見えざる手によって市場は安定する」って話で、マルクスの資本論は、そんなことはなくて必然的に破綻するって話ですね。って今の人は資本論なんて読まないか。

市場の状態をxとして、次の状態をf(x)として、
 while(true) x = f(x);
とすると、別に普通の非線形システムでしかないです。

そもそも、公平な資源の分配という解の存在自体が否定されているんだから、安定する解自体がないので、カオス的な有限状態がせいぜい。せめて、有限であって欲しいわけだが...

f(x)が単純な多項式であっても、有限で発散しない状態なんて滅多にない。確率と言うのはおかしな気もするが、ランダムにパラメータを選べば、発散することが多い。

市場に少しでも予測性があれば、全員が儲かる方向に操作するので、一発で発散します。なので、予測性を妨げる方向にf(x)を構成するしかない。と言うことは、決定する個人から見れば、f(x)はランダムだってことだよね。ってことは、大抵発散するってことだ。

なので、「神の見えざる手」なんてありえない。発散はバブルか恐慌として現れる。その時、その時で、パラメータのどれかをリセットすれば、反対方向に振れるだけ。

有限状態に抑えるための予測可能な操作を加えると、多数がそれを利用する方向の決定を行なうので、そこでミニバブルが起きるわけだよな〜

そういう意味では、今、起きていること自体は単純な現象で、しかも必然的だと思う。IT技術でサイクルが速くなっているだけなんだと思う。

僕は、積極的に乱数をいれた政策決定を使って、予測可能性を避けながら、全体を有限状態に止めるというのが可能だろうと思ってますが、それを受け入れる人は少ないでしょう。儲かっている人から略奪する宝くじの逆みたいなものだからな。公平じゃないし。金融関係のトップが公的発言で「はっきり言わず、思わせぶりなことを言う」ってのも、予測可能性の問題を避けたいからだな。

でも、市場原理的なババ抜き(不良債権抜き)は、そういうもの。それを税金で補償するってのは変だと言うのは、直観的に正しいと思う。債権放棄(徳政令)で解決すると逆方向に振れますが、それも言うほど悪い解決ではないです。赤字国債の日銀買取りだって同じようなものだし。

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